だいじょうぶだよー

あきよんの、生きる実験

アクセス数が増えていたよ

 

どなたかが紹介してくださったのでしょうか・・?

ブログのアクセス数、1日平均40アクセスくらいのところ、今日は250アクセスを超えてて、ちょっとびびった。

人気ブロガーさんならもちろん、普通のブロガーだとしても、1日200アクセスって少ない方かな?と勝手に思っているのですが

わたしのブログって長いこと、1日3アクセス(多くて10くらい)、が基本でしたから。
3アクセス中の1人はわたし、なことも度々ありましたし。(こんなマニアックなブログに来てくださっていた3人の方は伝説です)

3アクセスに慣れてたので、人と繋がって最高100アクセス超えた時も震えましたが、

昨日40アクセスくらいで、今日200アクセス、というギャップにはちょっとびっくり。

たまたま外でアクセス数確認したんですが
周りに人がいるのもかまわず、ムンクの叫び的なポーズで「キタ━━━(゚∀゚)━━━!!」の顔になり、数秒静止してしまった。

 

このブログがなんの役にたつのかよくわからないし、それを決めるのは読者さんの側ですが、

わたしは好きな表現活動を通して、自分の密度を高くすること、自分を信頼し、満たすことを今後とも、挑戦していきたいです。

自分の内側を充実させて、安心して在ることが誰かにつながっている、と体験的に知っています。
その体験は特別なことではなくて、自分がそれを選択すれば、いつも発現されることなのかもな、と思っているのですが

現状、瞑想してたり、安心できる仲間といるときとか、一人でいるときにそれを体験しているんであって、

日常的には、わたしは相変わらず引きこもりニートに近く、世の中でそれを試すにはほど遠い感じです。

もちろん、引きこもりニートでもなんら問題はありません。そういう自分も愛してます。存在するだけでいい、と、わたしは思っていますから。

ただ、自分を信頼し、内側を満たしながら、一歩世の中に出てみる実験がしたくなりました。

自分の密度を増して、全く未知な世界に飛び込んだとき
わたしを大切にすることが誰かを大切にすることにつながる

と、胸をはってわたしは言い切れるのかな?

わたしなりに生きて検証していきたいです。

 

なにはともあれ、ここにきてくださって、ありがとうございます。

もしも何か、あなたの心に残るものがあったら、ほんとうに光栄に思います。

あなたが観てくれるから存在するわたし、というものがあります。

 

わたしを観てくれてありがとう。

 

 

 

命を生きるぞ

 

エドガーケイシーのリーディングを基に治療をされておられる、福田高規先生のyoutubeチャンネルを発見し、しばらくガン見してしまった。

 

www.youtube.com

 

すごい先生に対して、恐縮な表現かもしれないけれど
福田先生、安定のかわいらしさ・・・◎

男性に対してかわいい、と思うとき。かつて勤めてた会社の社長が、

「おれは、かわいい、なんて言われたら、そいつをツネってやりたいよね」
と言ってたのを思い出すのですが、

たとえツネられたとしても(笑)わたしは、福田先生=かわいい、と形容したいよ。(なんだそりゃ)

 

動く福田先生を見ていたら、もう眠くて眠くてたまらなくなり爆睡した。

福田先生の、
喜びを生きることで世界中の人々の健康に貢献している、
という在り方を観させていただくと、こちらにも伝わるものがあるみたい。

その微細な振動に反応して眠くなったのかも。 

 

なんかいつも気づけば、わたしは先生先生いってるなあ(あはは)。

 

最近、昔よくやったゲーム動画をよく観てて、とくにパラッパラッパーというゲームばかり見てるんですが

そのゲーム内でも、先生的な存在ばっか出てくるの。

(「パラッパラッパー」とは、犬みたいなかわいいキャラのパラッパ君が、ラップバトル形式でいろんな先生たちに学ぶ、みたいな音ゲーです)

 

これ↓kawaii

www.youtube.com

 

 

パラッパに出てくる先生方も、いちいち素晴らしいのよ。

東◯ハイスクールばりに、「ハッキリいって講師陣が自慢です」ってかんじなのだ。

パラッパの中でわたしが一番好きな先生は、たまねぎ先生。

日本語訛りの英語でカンフーラップを繰り出すイケメン先生なんですよ。

ギャンブルにハマって自分の道場(フルーシ道場)を失ってボロボロになるのですが、ロマンティック空手を開発して一躍有名人に。さらに今では(?)喫茶店経営もしているらしい。

たまねぎ先生・・・!!!!

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わたしが描くとみんな丸くなる・・・(爆)

 

 

わたしの人生も、いわばゲームの中のパラッパ君状態で、いろんな先生のバイブス感じながら、ステップアップしていってる感じがあるな。

職業=先生でなくても先生的な存在はすごいいっぱいいて(犬や猫や・・動物も先生だしね)、出会いがわたしを育んでくれているといってもいい。

わたしが生まれて初めてなりたい!!と思った職業は、学校の先生だった、という話はここで何度か書いていますが、

職業=先生をする気が微塵もない今も、いつか先生的な人間になりたいなあと感じています。

ただ命を生きていれば、誰もが先生的存在なんじゃないかなあ?と思うからこそ、そう願っています。

 

物心ついた頃から、わたしはほぼ幽体離脱状態で生きてきて、生きたい、より、死にたい、にフォーカスを当ててきました。

でも、今年に入ってから。特に夏からは、どんどんと体に意識が入っていって、体(丹田)を感じられるようになりました。

そして、生きたいと死にたいの両面がつり合ってきた。

生きたいと死にたいのバランスがとれる瞬間を垣間観ると、この命は愛そのものなのだと感じます。

 

わたしが命を生かしているのではなく

命が、わたしを生かしてくれていました。

 

どんなに自分を殺したくても、どんだけ自分が嫌いでも、

わたしは重力に抱かれ、引力に引き止めてもらって、今ここに生きてます。

わたしにはよくわからんけど、aqiyonはこの世で生きる理由があるのだと思います。存在が存在することが、生きる理由なのかな。

それは、わたしに限らず、みんなもそうだと思う。

 

主観も主観。他者から見たら、とても勝手な考えにみえるのかもしれないけれど、自分の世界を生きるのは自分しかいません。

今までないがしろにしてきた分、これからは自分の感性をますます大事に生きていこうと思います。

 

そんなこんなで、ようやく今月から小さくアート活動始める予定です。わたくし、くっそ☆スロー・スターターなもんで、まだ準備中ですが(^^;)←これも命の計画通りなんですかねー


詳細決まり次第、またこちらでもご連絡しますね。

ご縁のある方にお会いできることを楽しみにしています◎

 

 

 

 

人間をする

 

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ズキズキはいらないよ。
これは、観てリリースできそうだ。やってみよう。(ただ決める)

 

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ズキズキの体感覚に形を与えます。
ただ単に観つづけてると、それは自然に変化してゆきます。

 

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わたしがよくやるのが、このパターン。

不快な体感覚が起こると、体から逃げたくなります。
体を捨てて、幽体離脱状態になり、「こんなのいらない!」と力づくで、現象をなくそうとします。

体がすっからかんな状態で、不快な感覚を敵!!とみなしている、地に足つかないわたしがいる感じ。

幽体離脱状態と表現していますが、思考はジャッジしまくりで暴走してるのよね。これをすると、丹田入ってないからか、体がグラグラ揺れます。どっかに持ってかれる感がある。

 

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体の中にいるのがこわい、という思いが昔からあって
すぐにイメージの世界に逃げようとしてしまうけれど
人間でいても、大丈夫なんですよね。

体感覚=危ない

ではない。

ゆだねる、とは、全てを受け入れることに近いと感じます。

わたしはわたしでいても大丈夫。

わたしはaqiyonさんでいても安全なのだ。

aqiyonももれなく、木火土金水の輪の中に入っているのだからねえ。

 

 

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諸行無常といいますか、ほんとに、その時々で、自分がしたいことも、心地よいことも変わりますね。

谷田先生とyukariさんにお会いしてからというもの、意識を自分の内に向けて、とにかく観る、という姿勢に変化しつつあります。

観る練習ができる場を提供してくださる方たちと出会えたことって、本気と書いてマジに幸運なことです。

わたしが語る言葉だけだと、怪しいだけかもしれないけれど
谷田先生やyukariさんが教えてくださることは、わたしが地に足つけて人間として生きるためにすごく役に立つこと。

最近「あー、わたしはわたしの体の中にいていいんだ」と改めて気づいてからは、

ちっぽけで、情けなくて、やたら欲深くて、脚も短い、人間aqiyonもなかなか良いじゃないか・・・、と、より深く感じられるようになりました。これは、やばいですよ(良い意味で)。

 

見えない世界のことに興味津々・大好きだ。

そして、見える世界も好きになってきた・・・。

 

「どちらか、ではなく、どちらも」(©️谷田先生)

に向かってませんか??

 

やばばばば。

 

この先も延々、自分をゆるす旅が続くのは明らかですが
自分を軽くしていく方向の旅なので、楽しみです。

 

楽しくないことがあってもだいじょうぶ、と思う。たぶん。

aqiyonの人生、ちゃんと観ていきましょ。

 

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僕が見てきたすべてを話して聞かせたい

 

まだ母さんは惚けてはない

今日も息子は学校に行かない

まだローンは残ってるし

俺、まだ世界を見てない

永遠はもう半ばを過ぎてしまったみたい

How do you feel?

残り半分て短すぎるね

 

うつろう街

うつろう夢

札びらが無為に散れど

口笛吹こう

君も踊ろよ、さあ

 

サヨナラなんて「なんとなく」だね

遠い花火も色褪せる

大切なもの見失ってしまいそうさ

僕が見てきたすべてを話して聞かせたい

 

KIRINJI「時間がない」より引用

 

 

www.youtube.com

 

踊るおじさんのあじわい深さといったら・・・。羨ましい。

 

 

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今年の5月に作ったZINE「おじ3vol.1」では、
わたしが「わたし」を探ってきたプロセスをダイジェスト的にまとめました。

【ZINE紹介】「作者 : aqiyon/タイトル : おじ3 vol.1」ゆるっと肩の力が抜けるエッセイ、その名もおじ3!自分ってなんだろう?という壮大ながらも素朴なテーマを丁寧に自分らしく考えるZINE。頭を真っ白にしたい時にひたらすら読みたい1冊。https://t.co/Z0duKY9jkB pic.twitter.com/zhQ9u9jcqA

— MOUNT ZINE (@mountzine) August 22, 2019

 

あまりにディープすぎると読みづらいだろうから、意味不明にならないように、簡単に読めるようにしたつもりだったけれど・・・
今ふりかえると、読む人の気持ちを考えずに、我が道を暴走してしまった感じがしています。
制作に没頭すると、どうも視野が狭くなるのね。独りよがりに暴走しがちだな。


お星さまの知識がある友だちに、「おじ3」の1冊目ができた日時のお空の情報(ホロスコープ)を見せたら、
「「おじ3」は、いきなり自分のディープな世界に切り込んでる感じだね・・・」という風なことを言われて笑った。

「おじ3」が生まれた日時に、「おじ3」の特性が出ちゃってるって本当おもしろい。
占星術って、シンクロニシティがある、という前提がないと成立しないけれど、わたしが体験した占星術鑑定は、当たっていることが多くて、すごく面白いなあと思います。

世の中がシンクロでできている根拠のひとつ、、と言える気がしています。

何気なく「おじ3」を作っているようで、ベストな瞬間に生み出さ「された」という感じは、本当におもしろいです。

 

しかし、ZINE「おじ3」は、挨拶もそこそこに、いきなり上半身裸・・・、みたいなZINEなんだろうかね(^^;)あはは。

「おじ3」のことは我ながらとても気に入ってるし、そのいきなり感は嫌いではないけれど・・・
そのやり方だと、わたしをよく知らない人には引かれるし、読まれない可能性は高いかもなあ。


自己完結でいい。というのであれば、全く問題ないんだけど。

 

一体ぜんたい、わたしは、どうしたいのだろう???

 

ありがたいことに数人の方に買っていただいた「おじ3」ですが、お店に納品してる分が全然売れてない現状に凹むので、

わたしは本当は、誰かに自分の言葉を伝えたいのでしょうねえ。

お届けしたい対象がいるから、凹むんだろうなあ。たぶん。

 

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かれこれ10年くらい、表現を始めては怖くなって夜逃げする、というパターンを繰り返しているわたしですが

その、行ったり来たり、の波の中で一貫してチャレンジしているのって

「わたしには、あなたが/世界が、このようにみえるんです」という表現です。

現在このブログでもそれをチャレンジしているけれど、どうも自分の思っていること、感じていることをスバっと言い切れないんですよね。

歯切れが悪すぎるよなあといつも思います。

「〇〇だったりして!?なんちゃってね〜」みたいに、どこかおチャラけてボヤかす表現が異様に多いぞ、わたし・・・。気持ちが良いとは決して言えない表現です。

自分の主観の世界のことなんだから、堂々と言ってもいいだろうに
いつもわたしは人目を気にしてビクビクしています。正しさとか、まともさ、常識、とか・・・人目という名の、「自分の目」に猛烈に怯えています。

 

でも、なんでしょう。。

「おじ3」でまとめた自分の半生をみていると、
「もう、その古いやり方は終わりにして、自分が楽な方向に生き方を変えてみましょー
というか、お前いいかげんにしろ(笑。←陽気に笑われてる)」

という気持ちになる・・・。

 

いつまで、「わたしはわたしでいちゃダメですプレイ」を続けるんだろう?

鬱になって、アナフィラキシーで死にかけて、ゾンビみたいな皮膚になってまでして
体がわたしに伝えてくれたことってなんでしたか!?と、

今一度、aqiyonさんに、問いたい。

 

大丈夫だから、この世を生きていきなさい

ってことではありませんでしたか?

 

歯切れの悪いわたしを卒業します。わたしはわたしをします。

この世で、わたしが感じていることを勇気をもって実践してゆきます。

猛烈にビビっててちびりそうだけど、ちびりながら、わたしを生きます。

喜んで、aqiyonさんを生きます!

 

言い切った・・・(ガクブル)。

 

満月あたりから始動します。

 

 

 

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2013年。おじさんを通して自分に言ったことを
直接自分に、言ってあげよう!

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シンクロちゃん

 

数ヶ月前にインテグレイテッド・ヒーリング(IH)を受けたとき

わたしを調整するために、佐藤由美子さんの著書『シンクロちゃん』が浮上した。

IHのプロセスは、筋肉反射テストを使いながら、体(潜在意識)の声を尊重して進みます。コントロールも無理も一切なく、その本人にとって一番ベストなことが自然に起こります。キネシオロジーを使った手法は様々ありますが、わたしが一番好きなのはIHだな◎
なんか、すごく優しいの。

 

ええ。

で、ですね、

 

IHで出会った『シンクロちゃん』。
さっそく購入して、10秒スイッチなるものを始めたのです。

(↓こちらで内容を少しのぞけます。漫画と文のコラボで読みやすいし、シンクロちゃんがかわいいよ。)

www.forestpub.co.jp

 

すんごくザックリいうと、
自分にひたすら◎していく(OKを出す)のが10秒スイッチです。
本の中では、lesson1〜10のステップをふみながら、10秒スイッチを学んでいきます。気になる方は、ぜひ、本をご覧になってみてね。

とってもシンプルで簡単な方法だけど、10秒スイッチを始めてからわたしは明らかにどこか変わった気がする。

10秒スイッチに取り組みながら、同時に、
谷田先生やyukariさん、cayocoさん、生き様がセラピストみたいな仲間たち、などなど・・・、それはそれはいろんなステキな人にも触れてますので

相乗効果が起こったかもしれないね。

とにかく気軽に自分に◎!今に◎!をつけ続けていたら、徐々に今に対してゆるしの感覚が起こりました。
そうしたら、過去をもゆるす気持ちになり、
わたしへとつながる命達や、未来のわたしが、今のわたしを応援してくれてるかのような気持ちになったんです。

過去も今も未来も同じ土俵にあるような感覚に。

もちろん、わたしは精神的に波が大きく、不安定なのが安定みたいなとこがあるので
常に豊かな気持ちで、感謝!!となれるわけではありません。

ただ、10秒スイッチをしているとね、

常に豊かな気持ちで感謝!じゃないわたしOK!気づけててすごいじゃん!

ということになります。

傍目に見たら、ただのポジティブシンキングに見えるかもだけど、
10秒スイッチの良いところは、陰陽・太極に◎するとこなんだよね。

ただのポジティブじゃないの。苦しいも、率直に、苦しいと感じる。

両極に対して◎をつけると、だんだんニュートラルな感覚を覚えるんでしょうかねえ??

今に◎をして、過去にも◎未来にも◎。淡々とそれをしていると

過去🌈今🌈未来に虹がかかり、
過去と今と未来の間にある壁が取り去られ、分離がない、今しかない、という気分になり、

その気分になったとき、世の中はシンクロ二シティでできているのかも??と感じました。

この感覚、本当かな?

というか!!今思い出したんだけど

最近、『危険なメソッド』という、シンクロニシティについて研究してたユング先生を題材にした映画を観たことを思い出した!

なかなか面白い映画です。ユング先生が患者さん(ザビーナさん)と愛人関係になったり、ひどい捨て方したり、フロイト先生と仲良くしたり、絶縁したり・・・という話。
これまたひどくザックリすぎる説明・・・。テキトーですみません(^^;)

史実に基づいたストーリーらしく、噂によれば、ユング先生・フロイト先生の再現度も高いそうですよ。ご興味ある方はチェックしてみてね。

なんで今、これを観たいのかなあ・・・?と思いながらTSUTAYAで借りたけど・・・。これもスィンクロかしらん。

 

もしも仮に、シンクロだけでこの世ができてたら・・・

どうしましょうかね。(ズズズ/ほうじ茶を飲みながら遠い目・・・)

 

 

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見える世界って、意外と簡単に変わるのかも・・!?

 

 

 

 

 

リリースしたいなら、リリースしないことじゃ

 

令和元年、夏。わたしは夜な夜な興奮しまくっている。

頭に血が上りすぎて、眠いのに眠れない、という状況が多いです。

さらに、でかい台風がやってきて、昨晩は怖くて怖くて一睡もできず(ーー;)

 

台風のはかりしれない力に対し、怖れを抱くのは自然なことだと思う。

今までも怖いと思ってきた。でも、こんなに激しく怖がらなかったよなあ・・・

と不思議なくらいに昨晩は怖かったです。

 

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「怖い」をいつもの怖れさんに昇華したかったけど、どうもうまくいかない。

 

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手放さなきゃ、手放さなきゃ。というか、不快だから、怖れ、なくなれーーー!!!

と思ってたら疲れた。

むしろ、手放さなきゃとか、怖れどっかいけ!と思うほどに、怖れはますます肥大化した。

 

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リリースしなきゃ、昇華しなきゃ、不快な状況なくなれーーー!!!!

としている自分に気づいたら、違和感でいっぱいに。

リリースって、わたしがする!と思うとうまくできないんでした・・・。

しようとすると、うまくいかない。どぅる〜んタッチや瞑想などでそれは体感してきた。

 

じゃ、どぅる〜んタッチや瞑想では、わたしってなにしてんだっけ???

 

考えていたら脳がひん曲がりそうになった。

そうしたら、いつものおじさんと違うおじさんが現れてこう言いました。

 

「リリースしたいなら、リリースしないことじゃ」

 

禅問答?みたいな、逆説の変容の理論みたいな。
おじさん、なんかカッコいい語感じゃあないですか。ステキな言葉をありがとう。

 

あ、そっか。

どぅる〜んタッチや瞑想のときにしてることって「ゆだねる」だった。

そして、「ゆだねる」ためにわたしができることは、

「ゆだねる」さんをお迎えする体制を整えること、何もしないで観てることだけだったね。

 

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「リリースしたいなら、リリースしないことじゃ」

おじさんの言葉を感じていたら、

リリースしなきゃいけないものがある、のではなく、

「リリースするものがある」という前提があるのだと思いました。

自然は自然にめぐっている。それをどうみるか?で、世界は変わってきます。

わたしの観念で、いかようにも世界は彩れるのだと自覚したほうがいいなあ、と思いました。

 

怖れは、一生なくならないと思う。

aqiyonが、太陽がなくなれ!と思ってもなくならないように・・・。

怖れは必要だ。太陽が必要なように。

でも、それに異様に執着するのはもうやめよう。なぜなら疲れるから。

 

あー、太陽がギラギラ暑い→今日はクーラーの効いた部屋で引きこもっていよう。

という風に、怖れを迎えたときの自分の在り方についても、

本当はどう在りたいのか??点検しよう。

 

太陽は、沈むときは沈むし、昇るときは昇る。

 

自然は自然にめぐっている。

そこに何をみるか?は、わたしの選択次第で、自由なんだよねー。

 

どぅる〜んタッチや瞑想法といったツールは、自由に世界を選択している、本来の自分に気づくための、補助輪的存在なのかもねえ。

なんて、ありがたいツールなんだ!!!!

すでに、本来の「わたし」に気づく土壌はある。じゃなかったら、その補助輪付きの自転車に乗るはずがない。

補助輪は補助輪だから、いつか外すときがくるでしょう。

補助輪なしの二輪で颯爽と走り抜けるとき、わたしはどんな世界をみているんだろう?

 

まだみぬその世界をわたしは楽しみにしているよ。

そして、今は今を楽しみます。

 

 

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あっはっは

 

 

 

だれのもの?

 

今日は、湧いて出てきた「無力感」について観察してみました。

 

 

 

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あら。

「わたしは無力です」というラベル、aqiyonさんけっこう気に入ってるみたいだな。

 

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「わたしは無力です」をずっと眺めていたら、硬い一粒の種に変化しました。

 

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そしたら、種が話しはじめました。

「わたしは、あなたのモノじゃないよ」

 

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わたしのものだ!!と、握りしめていたつもり、になっていたけれど

「わたしは無力です」は、実は、わたし個人の持ち物ではないみたいです。

種はもともとわたしのものでない、と思ったら、種からは芽が出て、あっという間にぐんぐん成長し、大木になりました。

 

もしかしたら種はもともと育っており、勝手にわたしが、ガチガチの硬い種としてみていたんだな、と思いました。どういう理屈でそうなるのかはよくわかんないけど、直感的にそう感じました。

 

aqiyonさんという一個人についても、気が付いてないだけ、もしくはなんらかのメリットがあって、そこに問題や苦しみを見ているのかもしれません。

もしかしたら、わたしが見ているその奥には、計り知れない(いい意味で)やばいaqiyonがいるかもしれない。

 

わたしaqiyonでさえも、わたしのもの、じゃなかったら・・・?

 

考えるとおもしろい。

 

 

 

 

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最近、ダグラス・ハーディングの伝記的本が心地よく、パラパラっと読んでいる。

www.naturalspirit.co.jp

テキトー読みですが、一緒にいると安心する本ってその時々であります。

今は、ダグラスさんだなあ〜。

ダグラス・ハーディングのサイト(実験の紹介のページかな?)にも書いてありますが・・・

人間は多層的で、様々な階層を行ったり来たりしている存在だけど
その中心には何があるのだろうか?

という問いがとてもおもしろいなあ〜と思う。

その、中心、の感覚でどぅる〜んとかしたらおもしろそう。

 

自分の苦しみをなんとかしたくて精神世界とかスピリチュアルとかに(あと、それを伝えるメッセンジャー的な人たちに)すがりついていたけれど、
というか、ぶっちゃけ今もその傾向は強いけど(^^;)、わたしは根本的に、そーゆー世界観が好きなんだなあ・・・と思う。
なんの理由もなく、なんか好きだよ・・・。

好きなものに出会えて、本当にうれしい。

 

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おむすびも好きだよ!!!!

 

 

残暑というか、真夏が復活したみたいな陽気です。わたしゃ、汗だくですよ・・・。

みなさん、どうぞご自愛くださいね。